前回の記事では名づけの手法についていくつかお話した。今回は店舗の名前をどのようにして決めていくのか考えていく。
一度聞いたら忘れられない店
店名は覚えることが簡単なことを意識しよう
新しい人間関係を築いていくとき最初のステップにして、最重要事項とは相手に名前を覚えてもらうこと。取引先の人に自分の名前を電話越しに間違えられると悪気はないにしろ、かなりショックな経験。自分の存在が半透明であるような、相手の視界から見切れているような印象。相手に覚えてもらうことと同時に、相手を覚えることも簡単なようだけれど、なかなか難しい。
例えば、気に入ったお店を発見して、会食で使いたいと思った時になかなか名前が出てこなかったりして、すごくヤキモキする。正確に記憶していなくても、候補検索にヒットして何とかたどり着く時代。ただ、そんな中でもネット世界のクラウドに依存することのない、いきなり強烈な顔面パンチを食らったようなネーミングのお店に出くわした経験がある。以前に都内某所で” 呑み処 捨て石 ”という看板を見たことがある。先出のフランス語のマンションのように、練りに練った感じがない、潔さに感銘を受けた。
珍しい名前は拡散する
SNS全盛時代のイマ、こういった面白いの看板はすぐに写真に撮られ、ハッシュダグをつけられて、思わぬ形で拡散していくだろう。平安時代の和歌や短歌、江戸時代の俳句がその時代のSNSであったように、人間には元来、もの珍しいものを記憶に留め、友達や家族とシェアしたいという欲求が普遍的に存在する。
そういった習性を逆手にとって、あの手この手と面白可笑しい名前が街には氾濫しているものの、記憶の断片に引っ掛かるものは、本当にごくわずかしかない。
ネーミングの粋
曖昧さを感じさせる範囲でネーミングを決める
かなり前に、飲食店プロデューサーなる方のお話しを聞く機会があって、その方曰く、ネーミングのツボは「相手のフックにかけるような感覚が大事」と言っていた。言い得て妙。練られ過ぎているものは気障(キザ)、かといって安易なネーミングは野暮、ちょうどの具合がネーミングの粋というものだ。
それは、俳句や短歌にやはり通ずるところはあるし、落語で言うなら”江戸の粋”というもの。明確な採点方式はないものの、ちょうど良い案配というのはあるもの。この感覚の曖昧さは、きっと日本人独特のものかもしれない。それは、SNSにアップされる写真を見て、感じる感覚(センス)に近い、一つの教養のようなもの。「神は細部に宿る」というけれど、内装工事も人間関係もまずは名前からはじまる。